Naruki.K's Radio Head

Transmitter! Picking up something good. Hey! Radio head! The sound...of a brand-new world♪

変わることとか動くこととか

人間というものは
変化をしたがらないものだというところがあるわね
脳が本能的に変化を嫌うようにはたらくという話も
あるらしい

だけども一方で、人はよく動きたがりもする

さらに、ともすれば
人は人を変えたがる
人は人に変えてもらいたがる

動くということは、なにかしらが変わるということ

あれ?

動くことにはそれほど抵抗がなくても
変わることには抵抗があるということか???

 

なにかに慣れていく、慣れてしまっている
なにかに夢中になる、なってしまっている
なにかを作っている、作り上げてしまった

そうなると特に、そうなった後に
変化したがらなくなってしまうのか
変化する必要性を感じなくなってしまうのか

あれ?

なにかに慣れていく、慣れてしまっている
なにかに夢中になる、なってしまっている
なにかを作っている、作り上げてしまった

そうなる前と較べてみたら
変化しているということではないのか?

 

なにかに慣れたら、そのコトを変えたくはない
なにかに夢中のときは、その流れを変えたくはない
なにかを作り上げたら、そのモノを変えたくはない

おもしろくてたのしくて
ノリにノッていて
そんな「快」の感覚であるにしろ

やらねばならないと
追い込んでいる、追い込まれている
急き立てている、急き立てられている
そんな必ずしも「快」とは限らない
感覚であるにしろ

それが意識的にしろ、無意識的にしろ

なんにしても、その渦中にあるときは
変化を恐れるし、変化に抵抗するし
変化する必要性に気づくことすらないだろう

 

ずっと動き続けているというのは
動いている状態が変わっていかないということ

ずっと動き続けているものは
変わり続けているように見えるけど
その「動き続けているという変わらなさ」を
変えるというのはもっと大変ではないか?

だけどもよう考えたら当たり前だな

動き続けているものを変えるより
止まっているものを変えるほうが簡単だ
これはすごく単純な物理の法則だ

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だとすると
立ち止まることをおぼえないといかんのではないか
立ち止まるのをよしとしないといかんのではないか
立ち止まる快感をおぼえないといかんのではないか

立ち止まるということを、まず
立ち止まることに慣れる
立ち止まってみたらおもしろい、たのしい

そこからか
そんな感じがしてくるな

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ものごとをおおまかに全体をみたら
動き続けていて変化しているように見える
だけども
それを細かく、すごく細かく
どんどん細かくしていったら
どこが変わっているのかわからなくなる

遠目で眺めたら曲がってくねっている
その木の枝も、あの前の道も
思いっきり寄ってみたら曲がって見えない

 

曲線というものは実は
すごくすごく細かい直線の
もっというと点の集まりに過ぎない

すごくすごく細かい直線や点は
実はそのまま直線なのかも知れないし
意外とかなりの曲線なのかも知れない

これはある有名な数学の概念のひとつ

 

 

たいせつなのは

全体を見渡す視点と
ごくごく一瞬をみつめる視点
この両方を自由自在に使いこなすことではないか

目の前だけ見つめていたら変化に気づかない
全体を眺めたら、どの程度変化しているかが見える

全体を見渡して変化の傾向が予測できると
ときには変化するのがこわくなって不安にもなる

思いっきり寄って目の前を見つめたら
変化の傾向は限りなく小さくみえる
このくらいならこわくない、と思えてもきそうだ

 

変わっているようにみえるものも
実は変わってないのかも知れないし

変わってないようにみえるものも
実は変わっているかも知れないとも言える

その両方を行き来していると
自ずと変化を受け入れられるのかも知れない

変化をおもしろがれて
楽しめるのかも知れない

 

近くをみたら、遠く見ろ
遠くを見たら、近く見ろ

動かすべきは、そういう『視点』ということか