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中学校道徳教科書を見比べてみて思うところ

先日、中学校の道徳教科書を見てきた。

教科書検定に合格した道徳教科書が8社分すべて
町の図書館に期間限定で展示されていて、
(この記事を書いている時点では既に終了)
中身を閲覧することができるという情報を
見たことがきっかけ。

2019年度から正式に教科になる「道徳」で
どのようなことが教えられることになるのかと
いうことは以前から薄々気になっていたので
教科書を覗きに行ってみた。

ある特定の日に1時間弱しか時間が取れなくて
各社の教科書に盛り込まれている題材の内容を
じっくりと見比べることはできなかった。

しかたがないので、教科書のはじめのほう

「道徳という教科では何を学ぶのか?」

ということが書かれているページのみに絞って、
8社の教科書のそこの内容を見比べてみた。

できれば、目次の内容もじっくりと見比べて
どういう話を題材としてとりあげているかも
確認してみたかったけど、残念ながら、
そこまでを目通しする時間的余裕はなかった。

その程度しか見てないけれども
感じたままを書きまとめてみようと思う。

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まず、8社分の教科書。

「道徳という教科では何を学ぶのか?」

という説明の部分だけでも、教科書会社によって
内容がだいぶ異なることがとても印象に残った。

文部科学省の道徳科指導要領の内容をもとに
編纂されていることは当たり前ながら
すべての教科書におおよそ感じられたけれども、
そもそもどの教科であれ、複数の会社の教科書を
見比べた経験がまったくなかった自分には
こうも内容が違うものか?とちょっと驚きだった。

これは道徳という教科だからなのか。
それとも、他の、国語や数学、その他の教科の
教科書の内容も、会社によってだいぶ違うのか。
歴史の教科書についてはかつてニュースにも
なったことはあったが、詳しくは知らない。

いずれにしても、道徳が教科となった以上は
基本的に教科書をもとに授業が進行されて
いくわけで...

 そもそも、道徳って、
 採用された教科書の内容や指針に沿って
 学ぶようなものなのか?

と、腑に落ちなさをもやもやと感じるけども、
ともかく、その教科書の冒頭で謳われているのは?

感じたことを1社ずつ。
無作為に手にとった順番で。

   *    *    *

日本教科書】

「多様な考えを発言し合い、聴き合って、
尊重する」ことが一応最初に謳われてはいる。

けれども、示されている内容は、
指導要領の内容からキーワードになる単語を
抜き出しただけ

そして、集団や社会に関することが多くを占める。
人との関わりのこと、生命や自然・崇高なもの
との関わりのこと、自分自身のこと、この3つを
合わせてやっと、量としては釣り合うくらい。

指導要領の内容自体がそうなっているからと
いうことももちろんあるだろうけども、
この時点でイヤだなあという感じがした。

 個人よりも集団や社会に重きを置くの???

そういう内容であることに違和感があるのだ。

全体を見渡しても、結局のところ
「公に尽くす」ための心持ちという色合いが
濃厚で、それを機械的に転写しただけのような
冒頭の説明には好感を持てなかった。

【学研】

指導要領の内容は明示されてはいなかった。

教材をもとに自分で考えて、話し合い、

 自分の生きかたを実現すること
 人生の意味を探していくこと

そのための手がかりに触れることが、
道徳科の目的であると示されていたと思う。

もちろん、検定に合格している以上、
目次以降には指導要領に沿った題材の
カテゴリ分けがされているのだけども、
(この特徴は8社分すべてに共通)
「自分に向き合う」ことに重きを置かれて
示されている冒頭であることには好感が持てた。

廣済堂あかつき】

学研版とおおよそ同様に、
「自分に向き合う」ためのものという内容。

学研版では「~してみよう」と、方向性を示して
促すに留まっているけれども、廣済堂あかつき版では
さらに、考えたり話し合ったりすることによって
「どんな効果をもたらすか」を考えることにまで
踏み込んで
いた。

どうして考えたり話し合ったりするのか?
その
意義や目的が明確に示されているところは、
より好感が持てた。

日本文教出版

日本教科書版とほぼ同じ内容。
指導要領のキーワードを抜き出しただけ。

その後に一応「道徳科での学び方」として
気づき、考え、議論し考えを深めることは
一応示されてはいるものの、さらりと
取ってつけた感が否めない。

そして「どんなことがよくて、どんなことが
道徳的に問題と考えただろうか?」という
問いかけ。

なんだか、指導要領の内容とは異なる意見や
含まれなかったりするようなことを

道徳的に問題と考えていこうと
誘導しているふうにも感じられて、
それは道徳を考える姿勢としてどうなのか?と
違和感を覚えた。
どうにも好感を持てない印象。

学校図書

1年の教科書の最初にいきなり
「さいころトーク」と書かれているのには
一瞬「おいおい」と感じたけれども、
そのこと自体はまあ、話したり聴いたりする
きっかけのひとつとして悪くはないかな、と。

それはともかくとして、

 自分も友達も悩みをもっているもの

 一人で悩まずに、話してみよう
 それだけでも気持ちは軽くなる

 考えかたを交換して支え合う

こういった、自分や友達の気持ちに寄り添うことが
前面に押し出されている
ところが、教科書として、
道徳科のものに限らず、とても新鮮に感じた。
そして、それを中学生に呼びかけるところにも
強く好感が持てた。

大人ですら、悩みを打ち明けることがやりづらい。
道徳の授業がそのようなことを受容する時間に
なるというのは素晴らしいことではないかと思う。

ただし、このように授業を運営するのは
ものすごい配慮や気遣いが必要で大変だろうな…

それにしても、呼びかけていること自体は
悩む人に安心感をもたらす可能性があるわけで、
素晴らしいと感じられた。

【光村図書】

1年の教科書の冒頭は「他者との対話」。
2年のそれは「自分との対話」。

意見を出し合ったり議論したり
それによっていろいろな見かたや考え
できること、自分自身の考えかたを見つめて
客観的に見ることが謳われていた。
このあたりは学研版に近い印象。
そう悪くはないかな、と思ったら。

3年の教科書の冒頭は、
「道徳の時間に学ぶこと」として
単なる指導要領のキーワードの羅列

 結局そこ?

他者や自分との対話をする内容はその範囲内?
公に尽くすことが第一義におかれている、
そのための、か...

なんだか拍子抜けしてしまった。

【東京書籍】

この教科書の冒頭は、他の会社のそれとは
かなり毛色が違っていてある意味特徴的だった。

「話し合いの手引き」として、
数人のグループを作って話し合いをするときの
手順やテンプレート的なものが簡単に用意されて
いる、という内容。

非常にマニュアル的、形式的で、
「道徳科で学ぶこと」の内容への言及は皆無。

端的に話し合いの方法を示すものと
割り切っているという見かたをすれば
潔いとも言える。

一方で「道徳科で学ぶこと」をどう捉えるかと
いうところがまったく言及されてない、
ということは...

 指導要領の内容そのまんまである

と解釈されてもしかたがないだろう。
そう考えると、今ひとつだなあ、と。

話し合いの形式的な方法を示すだけというのは
授業をする方にはある意味で楽なのかも知れない。
けれども、基本的に配慮不足で、
指導要領機械的に沿えばよいとの意図が
見え隠れしてどうもいただけない。

【教育出版】

相手への思いやりのことを考えること、
人間の生き方には唯一の正解があるわけでは
ないこと、自分の考えと他人の考えとは
違うこともあって、話し合う努力を続けることが
大切であるということが謳われている。

中学生の段階で、このことを認識することは
とても大切なことではないかと思う。

自分以外の人間と接する以上は
考えかたの違いに当たり、悩むことは
しょっちゅうある。
違いを責めたり逃げ出したくなることもある。

それでも「話し合う努力を続けること」の
大切さを明確に示しているところは
素晴らしいと感じられ、好感が持てた。

   *    *    *

以上、一社あたり5,6分程度、
冒頭部分のみをさらっと眺めてみただけの
印象に過ぎないけれども、その内容に
好感が持てた教科書は、

 学校図書
 教育出版
 廣済堂あかつき

このあたりだった。

なにも文部科学省の指導要領の内容が
全然ダメとまでは言わない。
大切なことだって含まれてはいる。
ただ、個人を尊重することよりも
集団や社会を優先するような内容に読み取れて
そういう価値観をベースとしようという意図が
推し進められるように感じられるところに、
全体主義的な危険性を感じるのだ。

さらに腑に落ちない点がもうひとつある。

道徳が正式な教科になっても
時間割の中に占める時間は、
週1回1時限で変わらないとのこと。
年間ではだいたい34,5時間という勘定になる。

一方、教科書で取り上げられている題材の数は
どの会社のものも軽く50を越えている。

 自分で考え、話し合い、意見を交換して
 さらに考えを深めることが
 単純に、全部やれるわけないだろう!?

まあ、すべての題材を1年間の授業で取り上げる
わけではなく、一部を選択することでよい、と
言うことなのかも知れないが、すると、
どの題材を選択するかは現場次第、
学校の理念や方針次第ということになるわけで、
ともすればバランスを欠いた、偏った授業内容にも
なりかねないのではないか。

一体、何のための教科化なのか?

   *    *    *

教科化された道徳の授業で為すこと。
教科化されていなかった時点の
道徳の授業で為されてきたこと。

本来の在りかたというのはわからない。
というか、100人いたら100通りの
意見や解釈があるものかも知れないけれども、

 人の気持ちに寄り添うこと
 自分に向き合うこと
 話し合う努力を続けること

これらが如何に大切なことであるかを教え、
実践していくことが、これからはますます
求められていくのではないだろうか。

果たしてこれまでの公的な学校教育では、
こういうことを重要視されてきただろうか。

自分が学校教育を受けた体験の限りでは
そうではなかったと思う。

教科化される道徳の授業の内容、現場が
どのようになっていくかは読めないけども、
なにも道徳の授業の場でなくとも
こういうことが大切にされることを望みたい。

ひとりひとりの個人の気持ちや声。
それよりも、集団や社会に重きが置かれる。
そういう方向性は御免蒙りたい。
そう思う。