Naruki.K's Radio Head

Transmitter! Picking up something good. Hey! Radio head! The sound...of a brand-new world♪

「死ぬ気で」やれる、やれているというのは

子どもの頃からときどき
目にしたり耳にしたりしたことのある
いまでも、ごくたまにだけども
目にしたり耳にしたりすることのある

 死ぬ気でやる
 死ぬ気で取り組む

というコトバ

は?
立派かもしれないけども
なんかヤだなあそれ

って感じていたし
いまでも一瞬そう感じてしまう

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ある決まったものごとが
一人前に為せるようになるために
その妨げになるような
余計なことはもちろん

自分がほんとうにやりたいと感じる
ほかのものごとまでも
すべて犠牲にして
わき目も振らずに集中して
ひとつのものごとを
やり抜くことかと思っていた

それもまったくの間違いではないかもと
いまでも思うのだけども

 

こうは思えないか?


自分自身が本心から取り組みたい
やり遂げたいと思ったことを

やってて心底楽しい、おもしろいと
感じることを

自分が他者のためにやりたい
自分ならできるんじゃないかと
感じたことを

すべてにおいて
自分自身で選び取って
やってみて
取り組んでいってみて

その過程で好ましいことばかりは
起こらないにしても

心の底から「充実している」と感じられて
そう言い切ることができていて

このまま自分が死んだとしても
「自分自身は」悔いはない

そんなふうに
ごく自然に思えて

日々を過ごして
生き続けることができていること

ほんとうのところは
そういう意味ではないのか
そんな気がしてきた

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だとすると
そう悪い気はしないし

なんかいまの自分が

このまま自分が死んだとしても
「自分自身は」悔いはない
自然に思えて生きている気がする

「死ぬ気で」というコトバにも
「死ぬ」ということにも
いま、これから、自分がそうする
いずれは、自分がそうなる、ということに
やたらとネガティブに捉えない感じに
なってきた

もちろん
死ぬつもりはないけどね!

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