Naruki.K's Radio Head

Transmitter! Picking up something good. Hey! Radio head! The sound...of a brand-new world♪

「コミュニケーション」のパッチワーク

コミュニケーションが 自分は 上手いだの 下手くそだの
コミュニケーションが あの人とは できるだの できないだの
コミュニケーションが うまくなりたいだの うまくできてないだの

コミュニケーションってなんだ?

このひとと あのひとと 誰かと 友だちになること?
このひとと あのひとと 誰かと つながること?
このひとへ あのひとへ 誰かへ いつもあいさつやいいねをすること?

このひとと あのひとと 誰かと 話ができること?
このひとへ あのひとへ 誰かへ 自分の言ってることが伝わること?
このひとの あのひとの 誰かの 言ってる意味や意図がわかること?

このひとへ あのひとへ 誰かへ 自分の感覚が伝わること?
このひとの あのひとの 誰かの 感覚がわかること?
このひとと あのひとと 誰かと 感覚がわかりあえること?

つながるってなんだ?  伝わるってなんだ? わかるってなんだ?

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 どこともつかない孤島に流れ着いてしまったようだ
 いつまで経っても自分ひとりの影しかない
 おそらくどんな奴でも堪え難いほどのひどい寂しさ
 絶望に陥る前に誰か助けてくれないか

 ぼくはSOSを世界に送ろう ぼくはSOSを世界に送ろう
 誰か拾ってくれないか 誰か拾ってくれないか
 誰か拾ってくれないか 1本のボトルに入ったメッセージを

 今朝 外に出ていったら信じられないものが目に入った
 1000億本ものボトルが海岸に流れ着いていた
 どうやらぼくは孤独でありながら孤独ではないらしい
 1000億人のひとりぼっちが居場所をさがしている

 SOSを送ってるんだ SOSを…

       【Message In A Bottle / The Police】より抜粋

rcs4naruki.hatenablog.com

そもそも、コミュニケーションってなんだろうか?
いろいろな手段や目的、対人関係の立場や実状などといった分厚い衣を
いったんすべて引き剥がしてみて見えてくる「原理」はなんだろうか?

コミュニケーションとは

 

ものすごく簡単に言ってしまえば、「刺激」と「反応」のやりとり
言葉を交わすことで意思の疎通をするわけですが、「言葉の内容」だけ
ではもちろんなく、同じ言葉であっても、抑揚とジェスチャーという
「刺激」の出し方の違いで「反応」がプラスにもマイナスにもなります。

 

表情やしぐさや口調など、言葉以外の要素で伝わる要素が「非言語」で
それが伝わり合うことが「非言語コミュニケーション」。

 

「言語」と「非言語」この両者が一致していると、発されている内容も
発信している人のことも信用できるし、一致していないと、どこか
引っかかって信用しきれないということになります。

 

言葉では「いいね!」「すごい!」「そうだね!」と言ってても、
実際に言葉通りに同意なり共感なりを寄せているのか、本当のところは
その瞬間の表情や姿勢や態度が見えてないと、せめてそれに近い形で
想像できてないと確信しきれないものです。
(だからSNS上のコミュニケーションは...閑話休題

 

相手の話を聴いて合間合間に相槌を打ちつつ、身体の姿勢が前寄りに
なっていれば、ああ興味を持って聴いてくれてるんだな、と感じるし、
ふんぞり返られていたりしたら、自分の話がおもしろくないのかな?
言い方が悪いのかな?と不安にもなるでしょうし、あるいは、
何シブシブ嫌そうに聴いてんだこの野郎!と憤ったりもするという
ものです笑笑

 

このような、相手の反応によって、その先の自分へなんらかの作用が
及ぶことを『互恵性(ごけいせい)』というそうです。

無料公開講座に参加 その3
 コミュニケーションとプレゼンテーション - Naruki.K's Radio Head

会話をすることでの、言葉を交わすことでの「刺激」と「反応」。
そして、言葉と、表情・しぐさ・口調などの「抑揚とジェスチャー」。
そういうものの交換によって相手の意思や考えを汲み取ること。

自分は、相手からなにを引き出して得ようとしているのだろう?
それをはっきりさせることが、はっきりさせようと意識することが、
『うまくコミュニケーションする』には必要なことではないだろうか?

現実を構成する3要素というものがあって、

 

 ①感情/情緒(Feeling/Emotion)
 ②観念/意見(Perception)
 ③事実(Fact)

 

この講座のテーマは「如何にして③を引き出すか?」でしたので
そこへ焦点を当てられているわけですが、
時と場合によっては①や②を引き出す場合も当然あるでしょう。

 

いま自分はどれを問うているのか?
どれを相手から引き出せているのか?
それを明確に意識することの大切さを感じました。

 

さらには、コミュニケーションに、そういうことだけしかなかったら
とてもしんどいということにも...

水曜学ぶでしょう・初参加
 「メタファシリテーション入門講座」 - Naruki.K's Radio Head

『そういうことだけしかなかったら、とてもしんどい』
...と言うからには、どうも、それだけで済むということでもないようだ。

ある目的を満たすための話をして、なにかを引き出して得ようとすること
だけじゃなくて、別にこれといった目的があるわけでもないような、
他愛のない雑談や世間話をうまく楽しくできることだって大切だ。

『コミュニケーションが上手』っていうのは、そういう会話を切り出して
続けていけるのが上手いってことでもあるって、いつもひしひしと感じる。
みんなもそう感じることが多くないかい?

話すことが、話を続けるのが上手いって、どういうこと?
どうしたら話をすることが上手くなれるのだろう?

話の流れを常に押さえて聞いていたら、いつでも即応(レシーブ) できる。
とにかくきくことであると。
それによってお互いになにかを分かち合えたという感覚を得ることで、
もっとコミュニケーションをしたくなる。

 

「話せないから会話ができない」のではなく
「聞けてないから話せない」

雑談はスキルだ!~話し方・聞き方講座 - Naruki.K's Radio Head

自分よりも相手のことを想うこと。相手をもてなす感覚で行くとよい。
自意識によって自分のことが頭をよぎると、途端に相手の話が入らなくなる。
数秒間でも相手の話が抜け落ちると、その先に会話が返せなくなる。

雑談はスキルだ!~話し方・聞き方講座 - Naruki.K's Radio Head

なんだか意外だな。
話せるだけのものごとが自分の頭の中にないからではなくて、
『自分が聞けてない』から話すことができないということらしい。

だけども、そういえばそうだ。
頭の中が自意識 ~自分のこと~ でいっぱいだったら、
相手のことが自分の頭に入ってくるわけがない。

自分のことはまずはさておき、相手に関心を向ける
相手のことを想うこと。おもてなし。
具体的にはどうやればいいとかあるかな?

昔から「人は見た目によらない」とはよく見聞きしてきました。
誰かの人となりを知るなら、その人の見た目やその場限りの言動だけ
ではなく、普段から発する言葉やその内容をしっかりと読み取ること。
それでこそおおかたの判断がつくということなのでしょう。
実際に会ったり目にしたりしたことがなくても、ネット上などで
常日頃発言・発信している言葉やその内容だけでも、その人のことは 
かなり掴み取れる...それを実感することも多くなってきました。
日頃のアウトプットをよく見ていたらその人自身がわかりますが、 
「出力こそが基本」こういうことか、とハタと思い立ちました。

 

一方、最近では「人は見た目が9割」などともよく耳にします。
高級なものを身に着けて自分を飾る、もしくは気分を高揚させる、 
高級ではないにしても身綺麗にはして印象良くみられるようにする。
そのことよりも(そこに効用があるのも事実で、否定はしませんが)、
むしろ「動作・所作」「表情」という「非言語コミュニケーション」を
どれだけよく感じ取って、その人のことを判断できるか
人を見る側にその力量が問われているということであるのか、と、
そんなことも思いました。
そして同時に、見られる側も普段からそこのところを意識することも。
そういう意味でこれも「出力こそが基本」であると言えるでしょう。

 

どちらの観点でも、やはり、出発点は「出力」。
ともかく、よい「出力(言葉・動作・表情)」をすること。
そうすれば「入力(思い・イメージ)」は後からついてくる

やることをやり、実現するには~
 「成幸起業の秘訣」講座 後編 - Naruki.K's Radio Head

その場限りの「言動」「言葉」だけじゃなくって、
「動作・所作」「表情」もあわせて感じ取ること。
さらには、普段から発する言葉やその内容をみていくこと。

つまり、互いに交換することができる「刺激」と「反応」の質や量は、
自分が如何に相手のあらゆる「出力」によく注目することができるか?
というところにかかっている、ということのようだ。

だとすると、自分も、普段からそこに意識を向けること。
それを大切にしようかということになる。

コミュニケーションを上手くできるようになろうとするならば、
「自分から出力する(言葉・動作・表情を出す)」ということ。
どうせならよい出力をしたほうがいいな。

出力する手段というのは、なにも「言葉」や、
それについてくる「動作」「表情」に限った話でもない。

こういう出力による「刺激」と「反応」のやりとりだってある。

誰かが描いた色。それをその場で感じて、誰かが、自分が、即興で
思い思いの色を、思い思いの画材をどんどん重ねて広げていく。

右脳炸裂!色彩のジャムセッション「らくがき時間」 - Naruki.K's Radio Head

そのとき出てきた色、誰かが出した色やパターン。
ただそれだけをそのときに感じて、先を予測することもなく色を置く。

右脳炸裂!色彩のジャムセッション「らくがき時間」 - Naruki.K's Radio Head

4人でひとつの絵を描き込んでいるときは、それほど多くの言葉を
交わすわけでもなかったのに(大橋さんはガイド役として話はしますが)、
なにひとつギクシャクした空気が生じない、塗り込む色と描くときの姿で
呼応しあって「なにか」をやり取りしあっている。
そうしているうちに、誰もが全く予想だにしないひとつの「なにか」が
浮かび上がっていく。

右脳炸裂!色彩のジャムセッション「らくがき時間」 - Naruki.K's Radio Head

rcs4naruki.hatenablog.com

ここでは「言葉」ではなくて「色」で。
さらには、その「色」を発しているときの「動作」と「表情」も。

そういう「刺激」に「反応」して、自分が「出力する」ということ。
それだって、コミュニケーションだ。

この「色」は「音」のことだってある。
もしかしたら「香り」「味」だってあるかも知れない。

自分ひとりでは気づくことのできない、相手が持っている感覚。
それを自分が引き出して、自分にも取り込むということの実践。

より心地よい『バヅクリ』のために - Naruki.K's Radio Head

ありとあらゆる「刺激」と「反応」が
コミュニケーションの「場」を作り出すことにつながってくる。

聴きたいラジオ局にチューニングを合わせるかのように、
いろいろな「場」から発させれている振動の中で
自分がしっくりキャッチできそうな振動を選び取ること。
そして、その「場」の振動と自分の振動を共鳴させること。

 

あるいは、
「場」に居合わせている人のアンテナ・チューニング範囲を
確認(あるいは察知)して、そこへフィットするような振動を
自分から発信すること。

 

『同じ周波数は共鳴する』という物理の法則。
人の居る、居合わせる「場」においてはこういうことになるのかと...。

より心地よい『バヅクリ』のために - Naruki.K's Radio Head

こうなってくると...

相手から発するあらゆる「出力」を感じ取る「自分の感覚」。
その感度こそが、コミュニケーションの源なのではないか
いうふうに思えてくる。

「自分の感覚」を、自分はどれだけ感じ取ることができているだろう?
自分は、自分自身と、上手くコミュニケーションできているだろうか?

自分のからだの声をきく。自分のこころの声をきく。
最近よくする見聞きする言葉である「マインドフル」というのは、
「自分自身とのコミュニケーション」ということなのだろうね。

『自分としっかり共にいる』
『自分の声に耳を傾ける』
『自分とゆっくり対話する』

ゆがみんレンズを意識してみよう~Salon「ゆらっく」 - Naruki.K's Radio Head

「日頃の自分の心持ちを整理する」
「自分の内なる声に耳を向けて、自分の思いや感覚を大切にする」

ゆがみんレンズを意識してみよう~Salon「ゆらっく」 - Naruki.K's Radio Head

自分の声に耳を傾けて、自分の思いや感覚を大切にするということは
自分に正直になるということにつながるだろう。

とってもいいことだね。
そうなれると、自己肯定感が高まる。
自己肯定感が高まったら、自分に自信ができて、余裕も出てくるだろう。
余裕が出てくれば、相手の「刺激」と「反応」もよく感じ取れるだろう。

自己肯定感の高い日本人が少ないということ自体は全然意外ではなくて、
常日頃それとなく感じていたとおりでした。

 

日本人に限ったことかはわからないのですが、

 

 実態のはっきりしない「みんな」「世間」「普通」、
 そこへ自分を嵌め込んで足並み揃えようとすることこそを
 善しとして「自分の本当に感じるところ」を引っ込める

 

そんな言動や行動を耳にしたり目にしたりすることをとても多く感じます。
しかも無意識に。そうなっているという自覚がまったく感じられないのです。

 

 「みんなが」「世間が」「普通は」 こうだから。
 ああだから。そうなってるから。
 だから自分はこの程度で仕方ないの。不本意だけど。

 

...いや、もしかしたら、その「不本意」という感覚すら無意識のレベルで
沁みついてしまっていて、麻痺しているかも知れないのです。

 

あまりにもそれが当たり前過ぎる状態になってしまっていて、
自分にも他者にもその「枠嵌め」を知らず知らずのうちに強いる結果に
なっているところが、自己肯定感の低さに現れているのではないだろうか。

 

いつまでたっても自分肯定感の低いそんな大人が動かす社会の中で、
子どもたちや若い世代が生きやすさを感じて成長していけるはずがない。

 

であれば、自分ら大人の世代から始めていくのはどうか。
きっと、そう難しくはないはず。

ちいさな町家の和室でセミナー「自己肯定力」 - Naruki.K's Radio Head

自己肯定感が低くなる要因

鈴木さんのカウンセリング経験を踏まえて、雑談の会話~自己表現が
おぼつかなくなる要因が端的に解説されました。
要因はいろいろとありますが、ここに集約されるように感じました。

 

「自分の気持ちを大事にされる(わかちあってもらう)経験の不足」

 

わたしたちは普段から、小さい頃から、わたしたちの都合を大切に
されるようでありながら、都合を言ったら言ったで反故にされる、
いわば「大人の事情」「親の立場からの発想による論理や都合」、
そういう強者の思惑を押し付けられる経験を重ねてきて成長して
きたように思います。

 

それで「何を言ってもきいてもらえない」という、無力な気持ちが
根付いてしまう。

 

雑談がテーマの講義ですが、意外と人間の根深い問題があることを
感じた、現実を知るという意味でとても心に響いたところでした。

 

わたしたちはほんとうに相手を尊重できているのか?
ここから問い直すところから始めないといけないのかと...

雑談はスキルだ!~話し方・聞き方講座 - Naruki.K's Radio Head

ということは...あれ?

自分自身の思いや感覚に正直な「自分」がいて、
相手自身の思いや感覚に正直な「相手」がいて、

互いに「刺激」と「反応」を交わしあったとしたら...

...必ずしもみんな「わかる」とは限らないってことにもなるね。

コミュニケーションの本質

「刺激」と「反応」のやりとりを繰り返していくと、自分と相手との
間に相通じるものを感じることも生じて気心が知れていきますが、
そうなればなるほど「人は異なる存在である」「人は自分とは異なる」、
多くを共有したいと願う気持ちとは裏腹に、そのことがどんどん
明るみになっていく。

 

実はそこのところが、人との違いを知ることこそが
「コミュニケーション」である!

 

このことを端的に示す適切な言葉は、日本語にはないそうです。
(もともと日本にはそのようなことを明確に示す文化がなかった)

無料公開講座に参加 その3
 コミュニケーションとプレゼンテーション - Naruki.K's Radio Head

小瓶に詰めて、自分のこころの中へ浸して流してみた
そういう、いろんなところで学んだこと、そこから感じたこと、
自分でちょっと試してみたこと。

流れ流れて、やっぱり、こういうところに行き着いてしまった。

『どうやらぼくらは孤独でありながら 孤独ではないらしい』

   *    *    *    *

みんななんでもわかりあえて
言うこと為すことすべてわかることが
コミュニケーションなのではなく

わかりきれないところ
理解しきれないところ
相容れようのないところ
相手のそんなところをよく見て聴いて感じて知って
互いにそんなところがあることを認め合うこと
それこそがコミュニケーション

 「わかる」というのは
 「理解できること」「共感できること」ではあるけれども
 それだけではなくて
 「理解しきれないこと」「共感しきれないこと」を
 そこからくる どうにもしっくりこない感覚までも
 「わかつ」こと 「わかちあう」こと

 そのことこそ 自分を 相手を
 大切にして「認める」「許す」ということ

こっちの意味の「わかる」のほうが、実はとっても大切なんだ。

「わかる」って、案外大変で、めんどくさいことなんだ。

だけども、それでも。

そんなところへさらに興味を持ってみて
知って楽しんで笑い合えることこそが
暖かいユーモアであって良質なお笑い

ここまでくることができたら、最高なのではないかな?

   *    *    *    *

『それぞれにとっての「自分の人生」という
 誰ともわかちあいがたいものの「わかちあいがたさ」をこそ、
 互いにわかちあい慈しむことになるかもしれません』
  【子どもの難問「どうすればほかの人とわかりあえるんだろう?」から】

子どもの難問

子どもの難問