Naruki.K's Radio Head

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ジョニー・デップ 若かりし頃の主演映画3作に感じる連続性と共鳴

若い頃に観た映画に影響を受けた。
いつまでもこころに残っていて忘れられない。よくある話だと思う。
映画ではなくても、音楽でも、本でも、絵画でも。

そして自分にもある。そういう映画が。

ジョニー・デップが現在のように世界的な大俳優になる前の主演映画。
特にシザーハンズ」「アリゾナ・ドリーム」「ギルバート・グレイプ
この3本の映画はこころに引っかかり続けて何度も繰り返し観た。

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当時は、ジョニー・デップが主演という共通点だけしか念頭にはなく、
まったく別の映画とだけ思っていた(実際にまったく別なのだけども)。

それが今になって突然、3本の連続性に気がついた。
3本はそれぞれ連続性を伴ってひとつの流れをもたらしている。
不思議なことに、今の自分にはそんなことが感じられる。

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シザーハンズ(Edward Scissorhands)

両手がハサミになっている男の哀しみ。
「触れれば切れる」鋭さを持ち合わせている故に、人前に出られずに
引きこもっている、両手がハサミの人造人間・エドワード。

両手がハサミである姿に一瞬怯むも、意に介さずに「こころ」で対話を
してくれる人が現れる。エドワードも徐々にこころを開きはじめて、
周囲に溶け込もうと頑張る。
自分や人を傷つけるとしか思っていなかった自分のハサミを駆使して
人を喜ばせることができるとわかり、自らも幸せと自己肯定感を得る。

自分の存在が周囲に馴染んで名が広まると、その個性を私利私欲に
利用しようとする人間、さらには、その個性と、個性の奥底にある思いを
理解する人を前に、エドワードに妬み嫉みを感じて詰る人間が出てくる。

それでもこころある人に喜んでもらおうと奮起するが、夢中になるあまり
図らずも人に傷を負わせてしまう。途端に押し寄せる非難や警戒の波。

そんな人間のマイナス感情が一気に露呈。
厄介者扱いを受けることに堪えられなくなり、ふたたびひきこもる。
こころを閉ざしつつも、理解ある人への思いはなくなりはしない。

   *    *    *

一気に押し寄せる衆目のマイナス感情に自分がモノ申したら、
余計に厄介者扱い、危険人物扱いされる一方。
話し合いの土俵にも立てず、立ったら立ったで相手に傷を負わせる。
あるいはそのように仕向けられてしまう。

自ら動けば動くほど傷が大きくなる一方の、あまりに鋭すぎる自分の刃。
人から遠く隔たることでしか人に喜びをもたらすことができない哀しみ。

鮮やかな色彩に満ちた童話的なファンタジーに漂うこの苦々しさは
自分の持ち味を「個性」「強み」と信じることがなかなかできない、
自力ではどうにも見い出せない苦悩と不安だろうか。


Edward Scissorhands (1990) - Trailer (HD/1080p)


アリゾナ・ドリーム(Arizona Dream)

魚の体調管理をする単調な仕事を毎日毎日続けるだけの日常に
なんとなく満足している、「魚になりたいと願う男」アクセル。

野心ギラギラな身近の男(若い嫁をもらう自動車ディーラーの叔父貴、
ビッグマウスな俳優志願の友人)に煽られて後追いしてみるものの、
おじのディーラーの手伝い中に偶然来店した女性客の尻を追いかけて
その「鳥になりたい女」の夢を叶えようと自力で飛行機を作り出す。

夢想と空想(妄想?)の世界に生きてきた同士が集まるやいなや、
それぞれがそれぞれに暴走させる空想で自分以外の全員を振り回し、
ひとりひとりもまたそれぞれ他者に振り回される。
自分自身の軸となる考えを全く持たないアクセルは周囲の動きに
ふわふわと翻弄され、右往左往するばかり。

そんな空想が混迷する渦の中で、ひとりだけ、夢を叶える。
「カメになりたい」もうひとりの自殺マニアの女が拳銃自殺。
この女は夢を叶えた。唐突に、破滅的な形で。

   *    *    *

夢を叶えるということは「自分が夢見ていたいま現在の」世界が
一変すること。言わば「ふわふわした空想の世界にぼんやりと
生きてきた自分の意識を殺す」ことだと、そのさまを目にして
やっと気がつく。

夢見ているだけでは、夢は夢のまま変わらない。
夢を手に入れるには、否応なくその対象を空想から現実へシフトさせる
ほかない。その一歩を踏み出すために必要な勇気と犠牲。

そういう「剛速球のストレート」的なテーマを、これほど奇妙奇天烈で
可笑しみに満ちた悲喜劇ファンタジーに仕立てた映画もないのではないか。

上映当時、映画館で3回観た。
いちばん、自分のこころと感覚を揺さぶるインパクトを食らった映画。
自分の中に巣食う「いくじなし」「無力な自分」を目の前に突きつける。
そうされた気がした。


Arizona Dream - Trailer (1993)


ギルバート・グレイプ(What's Eating Gilbert Grape)

なんの刺激も娯楽もない、時が止まったかのような退屈な田舎町で
家族の世話をしながら生活を送る若い男・ギルバート。

あまりに太り過ぎて自力で動けない母と、知的障害を抱えた弟。
そんな家庭事情に不満を感じつつも自分の学校生活と楽しみで
頭がいっぱいの妹と、母親役の姉。
父親役、ことに弟の世話を一手に担うギルバートの視野は、
そんな日常の範囲から広がりを見せることがない。

そこへトレーラーでやってきた旅人母娘。
トレーラーのエンジントラブルで、しばらく田舎町に滞在することに。
ギルバートとは全く違ったおおらかな感覚で身の回りの世界を捉える娘。
ギルバートは、そんな彼女のそよ風のように柔らかく自然なその感覚に
手を引かれるように惹かれていくものの、自分の世界を出られない。

そんな彼にも否応なく今までの世界を出ざるを得ない状況が訪れる。
弟の危機に対して立ち上がり毅然と振る舞う母。その母の間もない死。
悲しみにくれながら、住み慣れた家もろとも燃やして母を弔う。

残された家族はそれぞれの未来を歩み始める。
彼は弟を連れて娘と一緒に旅に出る。
自分をがんじがらめに縛っていたすべての過去に別れを告げる。

   *    *    *

変わり映えしない日常に追われて固まってしまった視野・意識。
それ以外の世界へ自力では行けない。行くことを想像できない。
あるいはそもそもそれ以外の世界があり得ると思っていない。

それを変えるのは、自分にない目をもった誰か。
自分の凝り固まった意識・価値観を、優しくしなやかに変える誰か。
さらには、変わることを余儀なくされる眼前の状況。

すべてが揃うなら、それは間違いなく変わるべきとき。

変えられないとしか感じられなかった現実。
あるいは叶うことはないとしか感じられなかった夢。
そもそも実際に叶えようと、叶うとまでは思っていない空想。

流れに身を任せて変わっていけばいい。
そうなれば、もはや他人が浴びせる奇異な目線も問題にはならない。


What's Eating Gilbert Grape - Trailer

 

なぜ今になって、こんなに以前に観たものが連続的につながったのか?
おそらく、今やっと自分が、長い長い時間をかけてそんな流れが自分に
来ていたことを自覚して、その流れに乗りつつあるからではないか。

そんなふうに思えてならない。