Naruki.K's Radio Head

Transmitter! Picking up something good. Hey! Radio head! The sound...of a brand-new world♪

金沢・照円寺でご開帳「地獄極楽絵図」

「地獄極楽絵図」を観てきました。

金沢駅兼六園口(東口)を出て、もてなしドームと鼓門を通り抜けて
徒歩でゆっくり7,8分ほど。
別院通りと金澤表参道(横安江町商店街)、それぞれの終着点が
ちょうどぶつかるその地点にあるお寺・照円寺。

このお寺に古くから所蔵されているのが「地獄極楽絵図」です。

f:id:rcs4naruki:20170924072231j:plain

 パンフレットより引用:
  今を去ること一千年前平安中期の名僧
  源信僧都の著された
「往生要集」に基づいて描かれたものです。

f:id:rcs4naruki:20170924072136j:plain

照円寺。
門を入ると、開口はそれほど大きくなくて、きれいな植栽と外壁以外は
小学生の頃によく出入りしていた公民館の雰囲気にちょっとだけ似てる
感じがします。
参道も、自動車の乗り入れもし易いように、平らに舗装されています。
今では、もしかしたら地域の公民館のような役割も担っているのかも
知れません。そのくらい入りやすい雰囲気を感じました。

f:id:rcs4naruki:20170924072230j:plain

中へ入ると受け付けはありましたが、ご開帳の期間だけ拝観料が無料。
パンフレットとカードが安価で販売されていました。

f:id:rcs4naruki:20170924072154j:plain f:id:rcs4naruki:20170924072209j:plain

御堂の中の壁面三方に、掛け軸状の絵図が展示されていました。
少し落ち着いてから絵図を観ようとしたときにちょうど門徒さんの解説が
はじまりました。その流れに乗って絵図をひと通り観ました。

源信僧都肖像画からはじまって、
この世に生あるものが迷い続ける、浅ましくうつつを抜かすという
「六道」の絵図が続きます。

 人道・天道・(九想観)・餓鬼道・畜生道阿修羅道

これに、後述する「地獄」を含めて「六道」と言うのだそうです。

我々は、外見をどれほど美しく装えども内面は不浄の集まりであり、
美しき者も必ず老いて、死して朽ち果ててしまうこと。

生・老・病・死の「四苦」、さらに、愛別離苦(あいべつりく)・
怨憎会苦(おんぞうえく)・求不得苦(ぐふとくく)・
五蘊盛苦(ごうんじょうく)に常に怯え気を遣って日々を過ごすことを
忘れて、いつかは必ず無に帰するあらゆる欲を貪る存在であること。

欲にまみれた俗世の生、その醜い「煩悩」の中身を突きつけられて、
どうしても「諸行無常」を意識せざるを得なくなってきます。

 

この後に、強烈な地獄絵図が続きます。
閻魔廳(えんまちょう。いわゆる閻魔大王)に始まって、

 等活地獄黒縄地獄衆合地獄叫喚地獄大叫喚地獄
 集熱地獄・大衆熱地獄・阿鼻地獄(奈落・無間地獄)

罪が重くなるに連れて、地獄のさまも激しく残酷になっていきます。
ひたすら、赤と黒で激しいタッチで描かれた地獄絵図。

残忍な仕打ちに苦しむ人々の、その残酷さがストレートに描かれ、
暗いところで観ると身震いがするかも知れないほどの暗く苛烈な光景。

しかし、そういう仕打ちを食らわしている当の鬼や魍魎にはどこか
可笑しさが...間抜けな目つきをしているようにすら見えます。

「こんな間抜けな鬼どもに苛まれるようなことやってる場合じゃないぜ」
そんなことを、この絵図が言っているようにも思えてきます。

そして、色彩やパターンだけ見ると、やたらソリッドでモダンな
感覚もしてきます。

いろいろな意味で不可思議なインパクトを感じた絵図の数々でした。

 

地獄絵図をひとしきり観たあとは、極楽へ。
仏の慈悲によって救われた人間が到達する彼岸極楽。

 聖衆来迎楽・蓮華初開楽・身想神通楽・五妙境界楽・快楽無退楽
 引接結縁楽・聖衆倶会楽・見仏聞法楽・随心供仏楽・増進仏道

十種の極楽が4枚の絵図に描かれていました。
これまでの絵図とは違ってとても多くの色彩があしらわれた、
平和で雅やかな、柔らかい世界。

しかし、色彩の豊かさのわりには、どこか全体的に淡い印象がしました。
経年変化による退色のせいでもあるのでしょうが、ただそれだけとは
言い切れないような、線の細さというか、儚い感じ。

恐らく、もっともっと華美に描くこともできたはずではないかと。
そういう華やかさが薄いところに、極楽が遥か遠くにある世界だと
いう印象を感じてしまいました。

 

ひと通りの解説を聴いて、観終わって、外に出ました。
心なしか、傍らの植栽が、平和と極楽の願いの象徴に見えてきました。

「悪」「罪」「不浄」の渦巻く現実。
生あるもののつくりだすそういう側面を直視して対峙したその先に
やっと、安寧秩序や平和、その先の極楽が見えてくるということか。

どんな存在も絶対に避けては通れない「死」。
そこへ向かっていることを日常的に意識した上で、日々の「生」を
生きていくことが、幸せを感じることにつながるのではないか。

ほんの20分間の短い時間のうちにそういう思いが視覚的なイメージを
伴って迫ってきた、振り返るとそういうひとときだったように思います。

f:id:rcs4naruki:20170924072256j:plain

f:id:rcs4naruki:20170924072250j:plain