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無料公開講座に参加 その2 日常の中に論語がある

「学都石川の才知」と題された、無料で参加できる公開講座
それらのうち、6月から7月にかけて開講された4つの講座を
ちょっとした興味の赴くまま、アポなし飛び入りで受講したという話。

県内の大学・短大・高専の教授による、いろいろな分野の教室が
5月から8月にかけての毎週土曜日午後に一日あたり2講座ずつ、
しいのき迎賓館3階セミナールームで開講していました。

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今回は受講した講座からふたつめ(実際には一番最初に受講したのですけども)

 6.日常の中に論語がある

について、講義で汲み取れた内容と、思ったこと感じたことを紹介します。

そもそもこの無料公開講座に目が向いて、参加しようと決めたきっかけは
この、論語についてのクラスがあったからでした。

心身の状態がすっと好転し始めた2年半ほど前から、なんとなく、
これからは哲学や心理学などの人文系のものごと(敢えて書物とか学問とは
言い切らない)に身近に触れていきたいという思いが湧いてきました。
その一環として、論語老荘思想菜根譚などの中国古典にも触れることを
考えて、ちょっとずつかじり始めてはいるものの、他の興味などもあって
なかなか遅々として進まず...自分で本を読むこと以外のきっかけづくりとして
参加してみることを決めたわけです。 

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【6.日常の中に論語がある】

論語」とは、どのようなことが説かれているものなのかをざっと知る
これから論語に読み親しんでいくためのきっかけとしてはよい講義でした。

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論語」が出てきた時代

論語を著した孔子が生きた時代は、中国の春秋時代(紀元前500年あたり)。
仏教創始者・釈迦とおおよそ同じ時代。
このときの日本は縄文時代

論語」が説いたもの

孔子は、論語のなかで「仁」を説いたと言われます。
(ちなみに、ブッダ(釈迦)は「慈悲」を説き、キリストは「愛」を説き、
 ソクラテスは「正義」を説いた、と言われるそうです)

「仁」とはなにか?

  孝弟(こうてい)なる者は、
  其れ仁(じん)を為すの本(もと)か

「孝」とは、親に対する「自然な」敬いやありがたみの気持ちを指します。
それと同じ気持ちで他人に接する態度のことを「仁」と呼ぶそうです。
人に対する思いやりの心は「孝」が広がったもので、自分の親を敬い
慈しむのと同じくらいの気持ちで人に対する心が「禮(れい)」であると、
つまり「礼儀」とはそういうものであるというわけです。

「和」を以て尊しと...

  有子(ゆうし)曰わく、
  禮(れい)の和(やわらぎ)を用(もっ)て貴(たっと)しと為すは、
  先王(せんのう)の道も斯(これ)を美と為す。
  小大(しょうだい)之(これ)に由(よ)れば、行われざる所あり、
  和(やわらぎ)を知りて和(わ)すれども
  禮を以て之を節せざれば、亦(また)行うべからざるなり。

「和(やわらぎ)を以て尊しと為し 忤(さか)ふること無きを宗とせよ」
聖徳太子の十七条の憲法に含まれるこの一節は、論語から来ているそうです。

ここでは、小さい「和」にしても、大きい「和」にしても、「和」それだけでは
成り立たない。「礼」を以て接することが大事ということが言われています。

 「和」…自分中心を捨て去ること。
 「礼」…他人の意見を尊重する態度・心持ち。認め合い。譲り合い。

「和」つまり、やわらいで「和える」こと。うまく混じり合うこと。
それは「礼」あってのこと、ということなのですね。

礼儀とは形や作法から入るものではなく、他者を敬う気持ちから入るもの。
その気持ちが自然と「礼儀」の作法につながっていくという、
現代でもよく言われることにも相通じるように思えます。

豊かさへの「道」

  子曰く、
  君子は義に喩(たと)えり、小人(しょうじん)は利に喩える。

「義」は、人としての正しい道、「利」は、利益のことを言うそうです。

日常の小さなことがらの中に、真理があることに気づくこと。
ただし、気がついてもそのままにしているだけてはダメで、
それを「人のために使って活かす」こと。
気がついた「小さなこと」を人のために使って、それを積み重ねていくことが
大きな変化や効果をもたらす。それが「道(どう)」につながっていきます。

利益や私利私欲を追求することを第一に考えて行動するではなく、
他者や社会のために何ができるのか、何を為すのかを第一に考えることが、
ものごとが永く続く、その本質であるといいます。

 お金も、貯めて置いておくだけではダメで、
 自分のために人のために使って流して役立てるべきという話もあります...

「道」は、自分に対峙することであって、ゴールはないもの。
その「道」を往く「志」こそが、心の支えになるということです。 
(ちなみに、相手に対峙することは「術(じゅつ)」と言うそうです)

 

日本ではまだ縄文時代の、当時の中国で著されたものですので、
読み下しのことばの感覚に馴染みにくくて、難しくて高尚なものという印象を
なんとなく強くしてしまいがちなところですが、その意味を読み解いていくと
なにも特別な凄いことが書かれているわけではなくて(ここまで触れた限りでは…)
現代でも至極当たり前に感じられるようなことがとてもシンプルに示されている
それを改めて感じたひとときでした。

これをきっかけにして、自分も、これから、中国古典などに触れていって、
自分の解釈を表せるようにしていこうと思います。