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無料公開講座に参加 その1 「民意」について考える

「学都石川の才知」と題された、無料で参加できる公開講座
6月から7月にかけて、いくつか受講してみました。

公益社団法人・大学コンソーシアム石川の主催によって
県内の大学・短大・高専の教授による、いろいろな分野の教室が
5月から8月にかけての毎週土曜日午後に一日あたり2講座ずつ、
しいのき迎賓館3階セミナールームで開講しています。

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無料ならええんやないの?と、ちょっとした興味の赴くまま、
限りなく遊びに近いノリで、4つの講座を選んで参加してみました。
(アタリをつけたうちのひとつだけは諸事情で残念ながら断念)

パンフレット裏面の末尾には申込方法が書かれてあって、
「問い合わせ先へお知らせください」と一応はあるのですが、
実のところは当日そのときの気まぐれ飛び入りでも充分参加可能です。

ワタクシはすべて飛び入り参加でした。
いやその、2つほど講座を受講した後にやっと、申込方法があることに
気がついたってのが実情なんすけども(汗)
まあそのくらい思いつきのテキトーな軽いノリで行ってみたわけです。

今回は受講した講座のひとつ、

 7.「民意」について考える

について、講義で汲み取れた内容と、思ったこと感じたことを紹介します。

【7.「民意」について考える】

政治学が専門の教授による講座。
「民意」とはなにか、どんな意図をもってそんな言葉が使われて、政治の場や
メディアで飛び交っているのかということを考えたひとときでした。

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そもそも政治とはなにか?

そんなところから話ははじまりました。
本来は「政治とは、複数の人間にかかわることを決めること」を指すのであって、
例えば、友人同士と話し合ってなにか(何を食べるか、どこへ行くか、など)を
決めるという時点で「政治」をしているのだということに軽く驚きました...。

そうすると自ずと「民意」という「周囲(自分も周囲の一部)の意見」
意識しないでは居られなくなるのは道理であって...

では「民意」とは?

ここ30年ほど、マスメディアで登場する頻度が多くなったという「民意」。
この言葉は、実は政治学ではあまり使われない言葉なのだそうです。
それに相当する言葉としては「利益」「選好」「意見」などの言葉が使われる
ことが多いのだそうですが、これらの言葉に置き換えたほうがより具体的で、
どの文脈で「民意」という言葉を利用しているのかという本質がはっきりと
見えてくるのではないかと思いました。

では、民主主義(であると認識されている)社会の中の「民意」の実情は?
「民意」には、ほんとうに世間一般の人々の意思が正しく反映されているのか?
という疑問が生じてくるわけですが...そう簡単にはいかないようです。
なんとなく、うすうすそんな気がするというところでしょう。自分もそうです。

民主主義と「民意」の実情

そもそも民主主義には2通りありまして、

 直接民主主義
  当事者全員が話し合いで「民意」を決めること
 間接民主主義:
  「民意」を集約したり実行したりする代表者を
  国民が選挙を通じて決めること

日本はもちろん、後者の「間接民主主義」になります。
有権者によって、選挙を通じて決められた代表者の発言や表現が、端的に
「民意の現れ」として表現されることに、理屈の上ではなっています。
このように、有権者が選んだ代表者が、代表としての自由な意志と行動に
よって法律や政策を決めることを「本人・代理人論」というそうです。

最も単純な話としては『投票(得票の多さ)=民意』とみなすことができて、
メディアでも、そのような意味合いで報じられ、かつ論じられることが
求められているのだそうです。

当然ながら、世間一般の人々の意見や主張・立場は千差万別であって、
そんな事実からも容易に想像できるように、世間一般の人々の意思が
「民意」に正しく反映されているものとは到底信じ難いのですが、
そのこと以外にも「民意」がブレる要素はいろいろとあるようで、それが、
政治のニュースや話題を持ち出したり読み取ったりすることの難しさや
ややこしさ、面倒臭さに拍車を掛けているように思えてきました。

「民意」を「投票結果」と考えると...
選挙「制度」によって、選挙結果~誰が当選するのか~が左右されますし、
選挙に何人の候補者が立候補するかだけでも左右されてしまいます。
あるひとつの小選挙区で戦う有力な候補者が増えるほど、当選に必要な
票数が減少しますし、その中で似たような主張をしている候補者が
複数居れば、それぞれに票が分散する(割れる)ということが起こります。
それを、第一位相対得票率(トップ当選に必要な得票の割合)と呼び、
それが変動するということになるのだそうです。

「民意」(投票結果)の精度は...

投票の選択肢をどうするかによって結果に影響が出ることも考えられます。
単なる「賛成」or「反対」ではなく、もっと具体的にどうすべきかを問う。
 「白紙撤回」「条件付きでOK」
 「国の言うとおりに」「わからない」など…
反対票の実態を調べていくと「条件がよかったらOK」と考えている割合が
実はとても多いそうです。反対の中身にもいろいろあるわけです。

住民投票では、選挙よりもその辺りが結果により鮮明に現れるそうです。
選挙よりも、 自分の意見が政治に反映されているという気持ちの高まりや、
より慎重に判断をして投票をするという効果が、投票する側には実際に
現れるのだとか。
選挙では「人を選ぶ」のですが、住民投票では「ものごとを選ぶ」わけで、
そうなるのは道理でしょう。
しかしこれは、有権者の普段からの意識を問われることにもつながります。
如何に普段から政治の実情を見ていて、自分の意見に忠実に投票対象を選択
できるのか。それができなかったら無意味でしょう。
「民意」が問われているとは、結局そういうことになるのですね。

「民意」の測定と表現

内閣支持率世論調査」による「民意」の測られかたという観点でも
興味深い話を聴くことができました。
内閣支持率の数字がメディアによってなぜ違うのか?という点です。
ここは、質問のしかた、集計のしかたの違いが影響しているようです。

 あるメディアはこう質問します。
  1.支持するかしないかの選択
  2.自分の正直な気持ちに近いのは支持するかしないかの選択
 またあるメディアはこう質問します。
  1.支持するかしないか無関心かの選択

前者のような2段構えの質問のしかたにしますと、「支持する」の数は
2つの質問の合算ということになり、支持する数が高くなる傾向が生じます。
後者のようなシンプルな質問のしかたにしますと、「支持する」の数は
自ずと低くなるということになります。
「無関心」の量と扱いにもよっても数の大小に影響してくるでしょう。

メディアの違いによって、回答者にバイアスがかかっている場合も
もちろん否定できません。
メディア側の報じかたの傾向や、それを選択する受け手の指向性が作用
しているであろうことは容易に想像できるところではないかと思います。

まとめ

以上の話から感じたのは「多かれ少なかれ、偏向していないメディアは
あり得ない」ということです。数字だけで「民意」を掴んだ気になっては
やはりいけない…。

このように「民意」というものはなんとも掴みどころがなさそうに
思えますが、それでもなお粘り強く、

 如何にして民意を反映させるのか?を問い続けて、
 真の民意を探し求め続けること

こそが、民主主義のあるべき姿ということです。

 

たった一時間の無料講座1回だけでも、これだけのことを知ることができて、
かつ考えさせられました。
この講座は終始教授からの話のみに終止して結構しんどかったのですが
自分の頭だけではずっとうすぼんやりしていたことが曲がりなりにも
こうして整理できて少しでもクリアになっただけでも、とてもよかったと
感じています。