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哲学の手習い・ことはじめ~西田幾多郎記念哲学館で講義受講にトライ!

世界的な日本の哲学者と言えば、西田幾多郎鈴木大拙
ともに石川県出身であるということをご存知の方はどのくらいいるでしょうか?

ワタクシも、社会人になるまではちっとも知りませんでした。
知ってからもずっと「そういう人がいるのね」くらいの認識しかありませんでした。

そして、日本最初の女性哲学者として高橋ふみさんという方が居られますが、
この方も石川県出身です(西田幾多郎の姪)。

その西田幾多郎の出身地、石川県かほく市(旧河北郡宇ノ気町)にあります。

 西田幾多郎記念哲学館

そこで一般向けの「哲学講座」というものが開催されているということを
最近になって初めて知りました。
案内を眺めてみますと、なんとなく…なんとなくではありますが、興味深いと…

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かねてより勉強したいと思い続けてきた哲学。
見聞を深める取り組みを習慣にするきっかけになれば、という思いひとつだけ。
それ以外はなんにも持たずに、手ぶらで! 丸腰で! 当たって砕けろ!笑笑
初回の4月の講座は先約の予定により参加を見送りましたが、5月20日・21日。
2日連続で、はじめて講座に参加してみました!

 

自宅からクルマを走らせてほんのしばらく。
かほく市の、海に近い高台にそびえたつ哲学館の駐車場へ到着しました。

そのすぐそばにあった「思索の道」なる順路を歩いていきました。

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あっるっこう~ あっるっこう~

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わたっしは~ げんき~

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あっるくっの だいっすき~

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どんどん いーこーう~~(思索しろ!)

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思索の道を通りきると…先に拓けました!哲学館!
階段をどんどん登って館内へ入りました。

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入り口すぐの受付で講座受講の旨を伝えます。
1日目はまずはお試しということで、講座1回分の料金(500円)を
支払いました。続けて受けていこうという意思が固まった2日目には
年間の料金(2000円)の支払いと所定の手続きをして入って行きました。

受付の左手。
この地点から、展示室、図書室、ホール、カフェなどへ行くことになります。

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講座は地下のホールで開催されますので、こういう階段を降りて行きます。

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両日の講座:

 5/20 西田幾多郎平塚らいてう鈴木大拙 -性と禅体験-
 5/21 伝記を書く -幾多郎・大拙

講師は、西ワシントン大学教授・遊佐道子さん。

1日目は質疑応答を含めて2時間半近く。2日目はまる2時間ほど。
とても密度の濃い、それでいて堅苦しいばかりでもない講座を
聴講し切りました。
遊佐さんが話されてたことをきちんと理解できたかというところは
ともかくとして、印象に残る興味深い言葉を随所に聴いて感じることが
できた、なかなかに魅力的で有意義な時間を過ごせたなあ、よかったなあ
という実感。

講義で話されていた内容を把握できたという感触はあまりないですけども…
印象に残った言葉を少し紹介しておきましょう。

  • 禅はとかくストイックでスパルタなイメージで捉えられがち
    だけども実のところはそうでもない。
  • 武士道は「死」を強調するイメージであることに対して、
    禅は「命」を肯定するイメージ。
    「愛情」や「恋愛」にも肯定的に捉えて考えるところがある。

  • 禅では性のことをタブー視しないで、普通に話題にする。
  • 平塚らいてうさんが後年に展開していった女性解放のメッセージや活動。
    その根源には禅体験があった。
  • 禅が「性欲」を否定するのではない。
    禅に基づいた修行をし続けた結果、最終的に「性欲」からも解放されると
    いうこと。ピューリタニズム(禁欲主義)とは決定的に異なる。

  • 【1945年6月15日・鈴木大拙
    君も愈々(いよいよ)出征することになるのか。戦に出れば死ぬとは限らぬが、また生きて還るともきめられぬ。どちらでもよいと云う事に考を定めて行くべきであろう。馬鹿な奴共に引っ張られてゆく国民は可哀想でならぬ。現時の国民だけでなく、「2600年」も御破算にならぬとも限らぬ。併しそれは政治上の事。民族の精神さえ確かであれば、百年二百年後にはまた日本人も生きて出るであろう。それまでの辛抱をするように、教育されなくてはならぬ。日本文化の生華を守ることさえ出来れば、その他はどうなっても関心以外のことだ。戦に負けても、民族は滅亡せぬ。日本民族の霊性的なるもの(遊佐さん註:希望)に対しての自覚が十分でさえあれば、吾等は永遠に死なぬのである。政治などというものは霊性性を持たない。...念仏なりけるのみぞ真なりけるは、いまでも活きている言葉である。

  • 【1945年6月17日・鈴木大拙
    老大家では、小生の意見は、到底も解しきれないと思う。或る意味では、コペルニクス的転回を要する。今までの見様を全然抛棄(ほうき)しなければならないからだ。それが彼らには出来得ぬと、自分はしんずる。それ故、望みは若いものの上に懸けられるべきだ。...

  • 【1945年7月6日・鈴木大拙
    西田が先月七日に死んだので、なんだか前途の光明を失った気すらする。年寄りはいずれは死ぬのだが、こう早く急死するとはもとより思いもよらなかった。西田は戦後思想界の指導役を勤めるべきであった。「日本を亡ぼすものは固陋(ころう)な国学流である。神道化である。情けないことには、今までは彼らの跳梁(ちょうりょう)に委ねられた。日本は縮み上がるのみであった。今度の戦争で徹底的に目覚めてくれば、それに増したことはないが、如何にも高い価を払うことになる。何もかも君らの双肩に懸っている。

禅のことと、このような戦争を前にしての言葉とのつながり…
そのあたりは自分にはわからないけれど。
この言葉が発されてから、実際に例の戦争を経た上で70年以上経った今。
どうなのでしょうか。この世の動きは。一体どうよ???と。

まだ「日本人は生きて出てきてない」のだろうかと…
そしてこのまま行くと、出てくるのは、さらに先延ばしになるのだろうかと…

そう考えずには、頭を痛くせずには、いられなくなりました。

 

講座の休憩時間中は、階段に周囲を取り巻かれている吹き抜けスペースで
ひといき。光と影以外の装飾がない無機質でミニマルな空間ですが、
やけに落ち着きます。

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これはホールの背面にあたる位置の壁に射し込んだ外からの陽光。

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1日目の講座が終了した後、受け付け付近で館長さんと少し対話しました。
館長さんはワタクシが学生の頃に1年間クラスを担任なさった、
かつての先生
です。
はじめて訪れてみたこと、はじめて講座に参加してみて感じた印象のこと、
最近この歳になって哲学などの人文系の分野に興味が出てきたこと、
学生時代のことなどを話して、嬉しそうな表情をしていただいたことが
ありがたかったですね。
このような形で随分と長い時間を経て再会する…なんとも不思議なものです。

その館長さんをもってしても、1日目の講義はやはり非常に濃い内容
だったとのことでした。

2日目の講座を終えた後はちょうどお昼どき。
多忙そうだった館長さんにはごあいさつだけ。
ワタクシは上に上がって行ってカフェでひとやすみ。

カフェからはこんなふうにかほく市のまちなみや自然を一望できます。
向こうには能登半島最高峰の宝達山も見えます。

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女性哲学者のはしりである高橋ふみさんも、スイーツがお好きだったとか。

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   *    *    *    *    *

メンタル疾患で長い間休職をしていて
いつ終わるとも知れない自宅療養生活をうすぼんやりと送っていた時期、
特に目的も当てもなく金沢市内のとある大規模書店へふらふらと足を
向けたときに、たまたまアドラー心理学のある本に出会ったことが
大きなきっかけでした。
突如心身の好転を感じた直後の頃…2014年12月の、ある好天の
冬の日でした。

何気なく手にとってみて、その内容に感銘を受けてからというもの

 心理学・哲学
 論語菜根譚老荘思想などの中国古典思想

そういう人文系の分野に興味がふつふつと湧いてきました。

心理学については、若かりし頃に、河合隼雄さんの著書や
こころとからだの結びつきなどに関する本を少し読んで親しんだことが
ありましたが、哲学というものに対しては、それまでの自分には殆ど
無縁でした。

それから本屋や図書館へちょくちょく足を運んではどんな本があるかを
探って、池田晶子さんの著書を気に入って多少読んだりはしてきたものの
本格的な流れや習慣にまでは至らずにここまでズルズルときたのでした。

今年、これからの講座を受講していって、こういう人文系の本やイベント
などに、より親しみをもって日常的に触れる習慣を身につけて、

 ものごとの本質・道理を見極める「見る目」を養う

そういう磨きを自らに掛けていきたいなと、そう思うのでありました。

そんな、自身にとってはまったく新たな試み。
一歩も二歩も進みたいですね。

ど~んどんゆ~こう~(あれ?)