Naruki.K's Radio Head

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誕生日について~年を重ねることは日々を積み重ねること

※旧ブログ記事に加筆訂正しました。

かつては、職場と家族親戚、それにちょっとだけ毛が生えた程度
…以外の人間関係しかない、要するに

『利害関係のない友人知人がひとりもいない』

状態に陥って久しかったこんな自分にも、
いまや主にネットを通じての友人知人が増えてきました。

イベントなどで対面してからネット上でもつながりあいを持って
常日頃の出来ごとや考えていることを日々細やかに目にして
たまにしか対面できない間柄であっても、
お互いにより親近感や信頼を深め合うということも普通になっています。

そうすると自然と、他人の誕生日や、
場合によっては生まれ年も見知ることになることもあるわけですが。

カレンダーを見ていましたら、特に冬から春にかけての時期に、
そんな友人知人の誕生日が多く集中していることに気がつきました。

そして、かつて親しくしていた学生時代の後輩の誕生日を迎えて。

誕生日についていつも思うところを。

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自分の誕生日や年齢を忘れたふりをするなかれ

若いと言われる年頃を過ぎるとよく耳にするのが…

 具体的にいつ頃を指すのかは敢えて申し上げませんが(小声)

「自分の誕生日いつだっけ?」
「自分は何年に生まれたんだっけ?」

というすっとぼけたセリフ。

本当に忘れてしまっているとはとても思えないんですよね。

だって、子供の頃、若い頃
あれだけお祝いの言葉やうたやごちそうやプレゼントを心待ちにしていた
まわりの人たちがお祝いをしてくれていた一年に一度の記念日を
相当な年寄りにもならないうちから
そう簡単にコロっと忘れてしまえるものでもないでしょうに?
ワタクシは結構忘れっぽいほうだと思いますけども
いくらなんでもそこまで忘れっぽくはない。

つまり、年を取る、衰えていく、もっと言うと
死に一歩一歩近づいていっているという、すべての生きとし生けるものが
この世で生きている以上は不可避なはずの事実から
刹那的に目を逸らしているだけに過ぎないのではないかと。

どれだけ年を取ろうともその現実を直視して、踏まえて、
自分はこれからどのように生きていくかに思いを巡らせた上で、
自分の中にある資質や経験の維持をするなり変化させるなり
新しいことを取り入れていこうとするなりしていく。
そうすることではじめて、無理のない~他人から見てイタさを感じさせない~
自分を実現していけるのではないのかな、と感じるのです。

ミもフタもない言いかたをしてしまうと…

 自分が劣化したという自覚しかないから
 この先、劣化する一方でしかないとしか考えられないから
 誕生日や誕生年から目を逸らす

そういうことではありませんか?

そんな意識でいるようでは
「よい年のとり方をしている」人に見られるはずもないでしょう。

 

年をとることは楽しいもの

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年をとるのがイヤだって言う人はとても多いように感じます。
大島さんはそうではないようですが。

特に女性は、外見的な若さや美しさが失われていくことに
落胆を感じることが多いというのはよくわかるのですけれど
「いい年のとりかたをしている」と感じさせる人も少なくないわけで。
それは女性も男性も同じこと。

特に40歳を過ぎるとその辺りが
顔つきや姿勢に如実に現れるように自分には見えます。
若さだけで押し通せなくなってきたところで
自身が持つ本来の魅力をより強くおおきく醸し出せるか
新たに身に着けていくことができるかが問われるわけで…

そこを怖いとスゴスゴと怖気づくのか、望むところと前を向いていくのか。
どちらが「かっこよくて」「よい年のとりかたをしている」かは明白。

ハタから見てるとわかります。
年を取れば取るほど出てくるものだと。
それまでの、そして、今の内面が…

外面に。

自分の外見や見栄えを気にするんだったら…
つまり、そういうことなんですよね。

そして、年を取るということは、月を重ねるということで、
それは一日いちにちを重ねることにつながっているわけです。

生きて、動いて、見聞や経験を重ねていくことで
過去よりも、今現在よりも、より深く賢くなっていけるのですから。
少なくともそうなる可能性が眼前に開けているということなのですから。

ということは。

結局のところ、年を取ることを前向きに捉えることが、
一日いちにちを前向きに過ごすことにつながるんじゃないかなと。

 「今日も笑顔で素敵な一日を」

毎日のようにそう言うのであれば。
その言葉に本当に共鳴するのであれば。

年を重ねることが素敵なことだと
こころから言えなければウソでしょう?

 

誕生日を自ら素直に祝おう

一年に一回くらいは年を取ったことをしみじみ感じる日があっても
いいんじゃないでしょうか?
たかだか一年に一回くらいは節目を実感して噛み締めようよと。

自分の、あの人の、誕生日をお祝いする意味。
おめでとうという言葉を交わす意味。

そういうところにあるのではないでしょうか。

それでもなんとなく、
年を取るのはイヤだな、若くなくなるのはイヤだなと感じつつも、
そのことを気に掛けて祝ってくれる人がいる。
知人のその節目には祝いたくなる。

そうできるという時点で
実は年を取ることを肯定的に捉えているということには
ならないでしょうか?

だとしたら、自らも素直に祝って
年をひとつ重ねたことを誇りに思いましょうよ。
無事に年をひとつ重ねられたことを、周囲に感謝しましょうよ。

敢えて「年を取っていくのがヤダ」と安易に発して
他人から「そんなことないよ!」「まだまだ若いよ!」だなんて
いい加減でテキトーな励ましの言葉を頂戴して消費して
自分の怠惰や停滞から目を背けるだけ
だなんてそんなつまらないことはない。そんなのヤメにしましょうよ。

胸を張って堂々と自分の誕生日と年齢を誇ることが
己をより的確に知ることにもつながって
ひいてはそれが「よい年のとり方をする」ことにつながる。

そういうことなのではないかと信じています。

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自分は、これから年を、日々を、時間を重ねていくことが
とても楽しみです。

時間の積み上げとともに
自分自身の経験や見識が積み上がっていくことを
体感していけることがとても楽しみ。

こころの底からそう思います。