読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

Miracle and Sleeper

数年悩まされてきたメンタル疾患が寛解して今なお復活途上にある 金沢に生まれ育った沖縄クォーターのライフログ的な何か

誕生日について~年を重ねることは日々を積み重ねること

そのほか徒然と思うところ

※旧ブログ記事に加筆訂正しました。

かつては、職場と家族親戚…それにちょっとだけ毛が生えた程度…以外の人間関係しかない、要するに『友だち ~利害関係のない知人~ がひとりもいない』状態に陥って久しかったこんな自分にも、今や主にネットを通じての友だちや知人が増えてきて。

そうすると自然と他人の誕生日や、場合によっては生まれ年も見知ることになって。

カレンダーを見ていましたら、特に冬から春にかけての時期に、そんな友だちや知人の誕生日が多く集中していることに気がつきました。

そして、かつて親しくしていた学生時代の後輩の誕生日を迎えて。

誕生日についていつも思うところを。

f:id:rcs4naruki:20170222143211j:plain

 

自分の誕生日や年齢を忘れたふりをするなかれ

若いと言われる年頃を過ぎるとよく耳にするのが…
 具体的にいつ頃を指すのかは敢えて申し上げませんが(小声)
「自分の誕生日いつだっけ?」「自分は何年に生まれたんだっけ?」というセリフ。

だけども、本当に忘れてしまっているとはとても思えないんですよね。

だって、子供の頃、若い頃、あれだけお祝いの言葉やうたやごちそうやプレゼントを心待ちにしていた、まわりの人たちがお祝いしてくれていた一年に一度の記念日を、年寄りにもならないうちからそう簡単にコロっと忘れてしまえるものでもないでしょうに?
自分は結構忘れっぽいほうですけども、いくらなんでもそこまで忘れっぽくはない。

つまり、年を取る、衰えていく、もっと言うと死に一歩一歩近づいていっているという、生きとし生けるものがすべからくこの世で生きている以上は不可避なはずの事実から刹那的に目を逸らしているだけに過ぎないのではないかと。

どれだけ年を取ろうとも、その現実を直視して、踏まえて、自分はこれからどのように生きていくかに思いを巡らせた上で、自分の中にある資質や経験の維持をするなり変化させるなり、新しいことを取り入れていこうとするなりしていく。
そうすることではじめて、無理のない ~他人から見て無理やイタさを感じさせない~ 自分を実現していけるのではないのかな、と感じるのです。

ミもフタもない言いかたをしてしまうと…

 自分が劣化したという自覚しかないから
 この先、劣化する一方でしかないとしか考えられないから
 誕生日や誕生年から目を逸らす

そういうことではないでしょうか。

そんな意識でいるようでは「よい年のとり方をしている」人に見られるはずもないでしょう。

 

年をとることは楽しいもの

f:id:rcs4naruki:20170222143116j:plain

年をとるのが嫌だって言う人はとても多いように思います。
大島さんはそうではないようですが。

特に女性は、外見的な若さや美しさが失われていくことに落胆を感じることが多いというのはよくわかるのですけれども、いわゆる「いい年のとりかたをしている」と感じさせる人も少なくないわけで、それは女性も男性も同じことであって。

特に40歳を過ぎるとその辺りが顔つきや姿勢に如実に現れるように自分には見えます。
若さだけで押し通せなくなってきたところで自身の本来の魅力を醸し出せるか、新たに身に着けていくことができるかが問われるわけで、そこを怖いとスゴスゴと怖気づくのか、望むところと前を向いていくか。
どちらが「かっこよくて」「よい年のとりかたをしている」かは明白。

ハタから見てるとわかります。
年をとればとるほど出てくるものだと。
それまでの、そして、今の内面が、外面に。

自分の外見や見栄えを気にするんだったら…つまり、そういうことなんですよね。

そして、年を取るということは、月を重ねるということで、それは一日いちにちを重ねることにつながっているわけで。見聞なり経験なりを重ねて、過去よりも、今現在よりも、より深く賢くなっていけるのですから。少なくともそうなる可能性が眼前に開けているということなのですから。

ということは。

結局のところ、年を取ることを前向きに捉えることが、一日いちにちを前向きに過ごすことにつながるんじゃないかなと。

「今日も笑顔で素敵な一日を」と言うのであれば。
その言葉に本当に共鳴するのであれば。

年を重ねることが素敵なことだと。
こころから言えなければウソではありませんか?

 

誕生日を自ら素直に祝おう

一年に一回くらいは年をとったことを感じる日があってもいいんじゃないでしょうか?
たかだか一年に一回くらいは節目を実感して噛み締めようよと。
自分の、あの人の、誕生日をお祝いする意味。おめでとうという言葉を交わす意味。
そういうところにあるのではないでしょうか。

それでもなんとなく、年を取るのは嫌だな、若くなくなるのは嫌だなとこぼしつつも。
そのことを気に掛けて祝ってくれる人がいる。知人のその節目には祝いたくなる。
そうできるという時点で、実は年を取ることを肯定的に捉えているということにはならないでしょうか。

だとしたら、素直に祝って、年をひとつ重ねたことを誇りに思いましょうよ。
無事に年をひとつ重ねられたことを、周囲に感謝しましょうよ。

胸を張って堂々と自分の誕生日と年齢を誇ることが、己をより的確に知ることにもつながって、ひいては「よい年のとり方をする」ことにつながるのではないかと信じています。

f:id:rcs4naruki:20170222143026j:plain

 

自分は、これから年を、日々を、時間を重ねていくことがとても楽しみです。

時間の積み上げとともに、自身の経験や見識が積み上がっていくことを体感していけることがとても楽しみ。こころの底からそう思います。