Naruki.K's Radio Head

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久し振りの研修出張に出て感じた「問題意識」

※旧ブログ記事に加筆訂正しました。

ことしの年明け早々、遠地出張をして、とある研修を受けてきました。

休職や就業制限によって出張がない前提で行動を考える期間があまりにも長く続きましたけども、ここにきてようやくそれなりに身を動かせる条件が整いました。
昨年11月、実に9年ぶりに遠地出張をしましたけども、このときはあくまでも上司の粋な計らいで業務の表彰に立ち会わせてもらったことが主目的でした。そのため、自発的な目的を伴って行くという意味では今回が実質的な再出発ということになります。
そういうことで、単なる自己啓発以上の意味や感慨を込めて出掛けてきたわけです。

もともとは別の人が受ける予定だった研修でしたが、その方が一身上の都合により受講をキャンセルされたようでした。そのために空いた一枠に対して上司が緊急募集を掛けてきて、自分がそこへ即刻乗っかったというのがきっかけです。
研修内容が自分の課題に合致していたこと、人間力を基礎から叩き直して再出発すること、心身を馴らしていくこと、そういう複数の要素を満たせる恰好の機会だと直感して募集を見て即決しました。

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2回講習の第1弾、前半を受講した時点ではありますが、即決してよかったなと。
講義の内容も講師の口調も実に刺激的でテンポも早くて、研修にアリガチな眠たくなる隙なんてものは一分(いちぶ)たりともありませんでした。準備していった事前課題に対してかなりキツいダメ出しも喰らいましたけども、それも含めてとてもスリリングに感じられて面白かったし、自分の至らないところにも明確に気づくことができた有意義なひとときであったことは間違いありません。

3週間後に第2弾、後半を受講しに再び出掛けますが、難易度が上がる中で自分がどこまでやれるのか俄然楽しみになってきました。

 

研修の具体的な内容はここでは言及しませんが、感じたことをつらつらと。

問題を認識すること
身のまわりのものごとや自分の能力でもなんでもいいのですが、もっと良くしたい、向上したいということは誰しも思っているはず。しかし、そうするためには、そうなるためには、まず「問題意識」がないといけないということ。よいこともそうでないことも、現状を冷静に見据えて「問題」を明らかにすること。それが目的につながり、行動につながり、周囲を動かす原動力になるということ。以前から「問題意識」の有無の差は大きいと感じてはいましたが、改めてハッキリと再認識しました。

そして、問題を明確にするにあたっては「問題はなにか」と考えるよりも「問題が解決した後の姿はどんなか」を発想の起点にすること。こう考えることでより具体的で実践的な解決策が導き出しやすくなるということ。これは新たな気づきでした。折に触れてトライしてみようと。

受け手に伝えることに主眼を
コミュニケーションは伝える「目的」を常に意識すること。そしてその目的は、真理の「証明」ありきではなく、相手との関係性に応じた「説得」であること。自分の思いも正論も大事だけども、それを振りかざすだけでは受け手には何も響かない。響かなければ伝わらない。伝わらなければ動かせない。
ここは自分にとってはものすごく耳の痛いところでしたが、「問題意識」をはっきりさせられたという意味ではよかったですね。

事実と主観の区別
提示された、見聞きした「事実」があって、さらにそれを受けて感じた「主観」がある。これらをできるだけ切り離すこと。「事実」を感知するのは自分なのでそこには必ず「主観」は入りますが、混同して同一視してしまわないこと。
このことは、事前課題に対して用意していった自分の回答と講義内容を照らし合わせて、如何に自分が「主観」を必要以上に混ぜ込んでいたのかを思い知ったところでした。もっと「事実」を客観的に見て判断することを意識しないと「事実」が曖昧に、あるいは歪めることになりかねないと。伝言ゲームがいい例ですね。
これもまたはっきりした「問題意識」のひとつです。

主語、主部を明確に
日本語の大きな特色として「主語を明示しなくても文法が成り立ってしまう」ことがあります。一見融通が利いて便利に思えるような特色ですけども、このことによって、いつのまにか「私」が主語になってしまうところが、ものごとを整理して的確に伝えるには大きなハンデとなっていること。
常日頃、主語を省略した問いかけをされて、一体何を問われているのか、誰に問うているのかすらわからない状況に出くわし、なんでこちらがそこを補完する労力を割かなければいけないんだと苛立つことがよくありますが、そんな自分が用意した事前課題の回答からして、主語や主部を明確にできていない故に、考えの整理もメッセージの具体性もぼやけてしまっているということに気付かされました。
ここが最も身につまされた「問題意識」な気がしています。

 

そんなわけで連想したのが…あの間寛平ちゃんのギャグを見習おうと。

「だァ~~れがじゃ!」
「なァ~~にがじゃ!」
「なァ~~ぜじゃ!」
「どォ~~してじゃ!」


吉本新喜劇間平対めだか.mpg


いや…研修の最中に頭をよぎったのですよ。マジで…。

前半の全編を通して、今の自分は、ひとりで読んで見知った時点の理解力こそ優れてはいないけれども、実際に話や解説を聴いてそれを踏まえてすぐに軌道修正する力、そこは自分が思っている以上にあることを感じました。
そういう「聴き取って自分に取り入れる力」が復活…いや、むしろ昔よりも向上しているのではないかという実感が得られたことが大きな自信になりました。
療養生活中はこの辺りの能力が全く失われてしまっていて、取り戻すことができるのかを非常に危惧していたものですから、心身の状態が確実に復活していることを感じられたという意味でも感慨深いものがあります。

こういう体験を重ねて、ますます自信を大きくしていきたいですね。